塙町の文化財 -050/105page
十九、木造薬師如来立像
江戸時代
植田薬師堂 大字植田字中ノ内
像高 六五・八cm
一木造 玉眼嵌入 彩色両眼を欠き、左手指先や両足先が一部失われ、彩色も剥落がひどく、保存状態は良好とはいえない。さらに現在の彩色は、後で施されたもので、それが厚く像を覆っており、全体に鈍い表現となっている。
粒状の螺髪を彫出し、左肩にかかる衲衣と右肩を覆う偏衫(へんさん)をつけ、左手を垂下し、右手をあげて立つ。薬師如来の持物である薬壼は失われている。
構造は、基本的には頭体の大部分を一材で彫出し、背面より像内を刳(く)り、そこに板を当てている。一木造(いちぼくづくり)であるが、一木の割には量感に乏しく、体躯が偏平となっている。また衣の襞も直線的で、変化がない。江戸時代の形式化した作風を示している。
薬師堂に寛政六年(一七九四)の棟札が残されている。それには、この年に薬師如来をこの堂に納めたことが記されており、この像の造立もその頃と考えられる。なお薬師堂は、もとこの堂の南にあった観音寺という寺の一堂であった。観音寺は、すでに廃され今はない。
二十、木造十一面観音菩薩坐像
室町時代
徳林寺 大字常世北野字赤坂
像高(現状) 三〇・八p
一木造 彫眼 彩色垂髻(すいけい)及び垂髻上の仏面を失っており、天冠台(てんかんだい)上に一列に九面を配す。正面の顔を入れて十一面となる。また天冠台正面中央には化仏(けぶつ)立像をおく。左肩を覆い右肩に少しかかる衲衣をつけ、左手に水瓶(すいびよう)をとり、右手は膝上におき五指をのばし、結跏趺坐する。
構造は、垂髻部に別材を矧ぐのみで、頭上面や左手持物をも含んで、頭体通して一材で彫出する。首よりかける銅製の胸飾(むねかざり)は、後世につけられたものである。また彩色なども、後に施されたものかもしれない。
頭体通して両腕まで一材で彫出しており、