塙町の文化財 -058/105page
内陣には円柱の四天柱と折上げ格天井を造作し、その中央奥には享保三年(一七一八)の寄進と寺伝に記録される欅製の禅宗様須弥壇を据える。なお、内陣通り東側の二室は現在位牌室に改められているが、その前にも若干の改造を経たものであろう。
天井は周囲一間通りを化粧屋根裏として繋ぎの太い海老虹梁を表わし、外陣は竿縁天井で中央部に折上げを設けている。なお、内外陣境に飾る獅子鼻や欄間彫刻などは豪華ではあるが、必ずしも当初の取付けとは限らない。
この本堂の建立は、寺伝によると宝永七年(一七一〇)第八世渕竜和尚による再建と記録されるが、原形部分でみればほぼ誤まりはないと思われる。なお、本堂の東南方にあり、享和三年(一八〇三)の再建と伝えていた間口十間、奥行五間余の大きな庫裡が近年の改築で失われたのは惜しまれる。
六、賢瑞院山門
所在 大字川上字寺下
建立 一八世紀中頃
間ロニ・二七メートル、奥行二・二九メートル、切妻造り、茅葺き、六脚門。前出の本堂から南に約七〇メートルを距てて正面に建つ山門は、玉石基礎上に角柱建て、軒組は大斗肘木、正面及び側面の中備には厚い板蟇股を配する。化粧垂木を表わした軒および妻の出はいずれも深いが、袖塀の支えによって遠見は安定感を与えている。
寺伝によれば、現存の本堂とともに宝永七年(一七一〇)建立された楼門形式の山門が、享保一八年(一七三三)倒壊したと