塙町の文化財 -070/105page

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米山の砦

米山の砦
米山の砦

大字台宿字中稲沢

 米山は標高三五ニメートル、町の市街地の西側にそびえる山塊で、羽黒山とともに塙町のシンボル的存在の山である。山頂には米山薬師が古くからまつられ、信仰の山ともなっている。この米山に城郭が営まれたという記録は残っていない。しかし、周囲の状況や久慈川沿岸の城砦分布から見ると米山山頂及び地続きに山城が営まれたということは十分推察できる。その根拠としては(1)羽黒山へ狼煙を伝達するには米山を経由しなければならない。(2)久慈川の谷間や河原床を掌握するための軍事拠点的な位置にある。(3)山頂部に二段階の削平地が残存し、谷を隔てて標高三〇〇メートルの所に削平状の尾根上の小曲輪があるなど、防 備的な意味あいがうかがえる。という三点があげられる。規模は小さかったかもしれないが、軍事的拠点となり得る十充な環境であったといえよう。

西河内太鼓館

西河内太鼓館
西河内太鼓館

大字西河内字太鼓館

 本丸に相当する削平地は小さく北西寄りに土塁の痕跡がある。この山頂より腰曲輪的な削平地が階段状に南に伸び、山頂東側は小さなテラス状曲輪が一段さがって形成し、尾根続きを切断している。北と南は絶壁で、従って南側の階段状の曲輪形成に重点が置かれている。

常世中野平館

大字常世中野字平館

 南側は川上川がせまり削られている。西側と北側には堀跡が残る。かつては周囲はくまなく土塁がめぐっていたと思われるが、西土塁はよく残存していて馬踏も認められる。この館は、関東・東北地方に一般に見られる方形館跡とみなされる。

中塚館の岡館

大字中塚字館の岡

 丘陵の舌状台地の舌端部にあり、西方板庭の銚子館と連携して川上川沿いの平地を防備し、羽黒山城の詰城的な要素が考えられる。現状は丘陵上に民家が建ち並び、削平地もことごとく畑になっている。北側において土塁の残存が認められ、南側においては腰曲輪とみられる平地も認められるが、旧状をつかむのは非常に難しい。


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