塙町の文化財 -075/105page

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水戸街道沿道の文化財(石造物)

地蔵尊坐蔵(台宿)
地蔵尊坐蔵(台宿)

三番札所阿波国金泉寺
三番札所阿波国金泉寺

四十四番札所伊予国大宝寺四国霊場八十八ヵ所石仏(台宿)
四十四番札所伊予国大宝寺四国霊場八十八ヵ所石仏(台宿)

青面金剛像碑(台宿)
青面金剛像碑(台宿)

髭題目の碑(台宿)
髭題目の碑(台宿)

宝篋印塔(台宿)
宝篋印塔(台宿)

石仏群(台宿)
石仏群(台宿)

一里塚址(台宿)
一里塚址(台宿)

 国道一一八号線から分かれた県道矢祭山、八槻線を、米山の山麓に沿って南へ六〇〇メートル、米山薬師の南参道入口に達する。石段の南側に安政三年(一八五六)建立の豪壮な石灯籠、天保十二年(一八四一)の聖徳太子塔、北側に造立未詳の地蔵尊坐像が建っている。

 山頂薬師堂への登りの参道は約一キロメートルもあり、参道沿いには四国霊場八十八ヶ所の石仏が並んでいる。大きさは五〇センチほどで、札番・国名・寺名・御詠歌を刻し、本尊仏が彫られ、その下には仏の名前が刻まれている。石段南側脇の三番札所阿波国金泉寺から始まり、参道に十五基、頂上には四十四番札所伊予国大宝寺の石仏など四基が建っている。配列はおおむね札所順になっているが、石仏が前後しているのが見られるのは転落の際等に並び換えられたものであろう。

 山頂から棚倉町八槻の米山下へ下る北参道には十八基確認できる。米山下の集落のうしろにある墓地に八十八番札所の石仏があることから、参拝の順路は南参道から頂上薬師堂を参拝し、北参道へ下るものと考えられる。石仏は石質・彫り・型など異なるものが見受けられ、特に北参道では札番と本尊名だけを刻した簡略化された角型のも見られ、同時に建てられたものではないと考えられる。全部の石仏が見られないのは、参道から転落したり、破損したり、或いははじめから建てられなかったのかは判然としない。

 西麓中稲沢の北野神社境内には約三年の歳月をかけて明治二十一年に完成した中稲沢から棚倉町に通じる隧道の完成記念碑が建っている。そこから二〇〇メートルほど米山の山中に明和九年(一七七二)の青面金剛像碑、文政二年(一八一九)の湯殿山碑、文政五年(一八二二)の如意輸観音像碑がある。

 南参道石段からおよそ五〇〇メートルで台宿の集落に入るが、途中稲沢に入る丁字路に慶応二年(一八六六)の髭題目の碑と明治二十五年(一八九二)の二十三夜塔碑を見ることができる。台宿には真言宗智山派薬王寺があり、境内薬師堂は町指定の文化財である。薬師堂北面には安永五年(一七七六)の宝篋印塔、貞享二年(一六八五)に米山で入定した金剛院宥善上人の寛政四年(一七九二)建立の六三四字からなる追慕の碑と、文化五年(一八○八)の二十三夜塔、嘉永四年(一八五一)の馬頭観世音碑、


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