塙町の文化財 -076/105page

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霊符神の碑(台宿)
霊符神の碑(台宿)

道標(塙)
道標(塙)

南無金光明最勝王経の碑(伊香)
南無金光明最勝王経の碑(伊香)

三界萬霊碑(伊香)
三界萬霊碑(伊香)

中沢一里塚(植田)
中沢一里塚(植田)

如意輪観音二基(植田)
如意輪観音二基(植田)

自然石の手水盥(伊香)
自然石の手水盥(伊香)

馬力神碑(伊香)
馬力神碑(伊香)

廃寺常泉院から移されたといわれる寛政五年(一七九三)の地蔵尊がある。

 台宿の南端、県道の西に浄土宗禅林寺の廃寺跡がある。元禄二年(一六八九)の六字名号供養碑と寛政元年(一七八九)の念仏供養碑のほか、廃仏毀釈の際に顔面を破損したといわれる石仏十二体がある。また東側には一里塚があり、ここから久慈川沿いの沃野と伊香宿・東館の宿を遠くに望むことができる。以前には街道をはさんで東西に榎の木が立っていたといわれるが、今は県道東側の古木と、昭和十三年建立の馬頭観世音碑、一里塚趾と刻した石碑一基を残している。西側すぐ脇の熊野神社境内に建つ文政四年(一八二一)の霊符神の石碑も、かつてはここにあったといわれる常泉院にあったものである。

 台宿の東方にそびえる標高三六四メートルの羽黒山頂には出羽神社が鎮座する。西参道鳥居下には大正五年(一九一六)建立の馬力神碑がある。

 享保十四年(一七二九)からの陸奥代官塙陣屋跡には、享和元年(一八○一)の十九夜念仏供養塔、ほかに甲子塔などがある。

 陣屋跡から南へ二〇〇メートルの所に、寛政五年(一七九三)塙代官寺西重次郎が造ったと伝えられる向ヶ岡公園がある。公園内には寺西代官の子息寺西隆三郎が、父の仁政を記して文政二年(一八一九)四月に建立した高さニメートル余の和文の誕育家碑、文政十二年(一八二九)の粟島大明神碑、明治十八年に造られた道標、昭和九年の水郡鉄道完成記念碑などがある。

 この公園から南へ一〇〇メートル、国道一一八号線の西方道路下に、水戸天狗党の田中愿蔵刑場跡碑と慶応元年(一八六五)の供養碑が建っている。

 高野里集落西の真言宗天照寺廃寺跡の境内には、明和六年(一七六九)の南無金光明最勝王経の碑と年未詳の庚申供養碑と六字名号碑が建っている。

 古宿集落の西にそびえる標高三五〇メートルの山頂を中心とする油館の山麓の観音堂の境内には、安永四年(一七七五)の自然石の手水盥、寛政十年(一七九八)の三界萬霊碑、元治元年(一八六四)の如意輸観音碑、明治・大正期の馬力神碑四基と、年末詳の山神碑がある。

 植田中沢にある一里塚の碑は、昭和四十三年に明治百年を記念して建てられたものである。高城小学校西方の真言宗観音寺の境内には、年紀未詳の如意輸観音二基があ


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