塙町の文化財 -083/105page

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鈴木正家文書

 この文書は、東白川郡塙町大字伊香字古宿一六三の鈴木正家に伝存した文書六二二点(近世文書六一七点、明治文書五点)である。

 棚倉藩および幕領塙代官所の支配下におかれた伊香村名主文書の一部および塙年番会所に出仕した関係で、同年番会所が取り扱った塙代官所の年間業務内容を年中行事としてまとめた「嘉永三年雑當用控記」は、江戸幕府代官制度の研究に貴重な史料であるとして「江戸幕府郡代代官史料集」(村上直校訂・近藤出版社)に収録された。

 幕政では年番会所が取り扱った赤子養育、貯穀、夫食代拝借・拝借金、返納金取立に関する文書、年貢・諸負担に関する訴願、村と町では、奉公人が盗難などの事件、災害に関する文書がかなりまとまっている。産業とくに農業用水・堰・山論関係では、伊香村だけでなく塙年番会所で取り扱ったものもふくまれている。このほか酒造、鋳物・野鍛冶業関係文書、あるいは交通関係では、伊香村問屋、助郷、廻米に関する文書八六点がふくまれる。一撲・訴願では、寛延二年の戸塚騒動の農民にたいする「寛延三年奥州白川郡村々強訴百姓御仕置申渡書」などが収録されている。

 戸塚騒動は、寛延二年九月塙代官筧伝五郎の支配地で戸塚村など一一ヵ村が中心となって発生した一撲で、寛延元年・二年にわたって奥羽地方は凶作に見舞われ、申し合せたように桑折代官神山三郎左衛門の支配地、三春藩・守山藩・二本松藩・会津藩においても一撲が発生した。塙領の農民は、年貢上納の延期、種籾の貸し下げ、救済金の交付などを要求して訴えた。江戸にあった筧代官は、塙からの知らせで塙に出向いたが、農民らが竹槍・斧・鎌などを持って代官所を囲み、身の危険を感じた代官は、ひそかに近くの安楽寺に逃がれた。一撲の農民は激怒し、寺を囲み代官が出なければ寺ごと焼き払うと詰寄ったので、代官はもはやこれまでと寺の押入れで自刃したと伝えられる。一撲は棚倉藩の応援で鎮圧され、主謀者とみられた戸塚村長百姓善兵衛、幸助、七三郎などの礫刑・死刑をはじめ農民五五九人が刑をうけたといわれる。

 このように鈴木家文書は、塙年番会所関係文書が多数ふくまれ、塙代官領の研究には欠かせない貴重な文書である。

「寛延三年奥州白川郡村々強訴百姓御仕置申渡書」(鈴木正家)表紙
「寛延三年奥州白川郡村々強訴百姓御仕置申渡書」(鈴木正家)
「寛延三年奥州白川郡村々強訴百姓御仕置申渡書」(鈴木正家)


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