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田代中里の北野神社祭礼
[期日]
夏の土用丑の日
[行事]
通例の神事と、特殊行事の共同餅つき、その餅の部落内持ち廻りが行われた。
[内容]
祭礼として、先ず献饌用の餅搗きがあり、更に信徒氏子のため餅搗きが行われる。
それには、古くから境内の一角に設けられた所のかまどで、もち米が炊かれ、餅搗きとなるが、その杵は、生木を切って作った棒状のままの千本杵といわれる杵で、"ヨイサ""ホイサ"の掛け声に合わせて搗かれ、特に「こねどり」には、空臼が用意されて、それを杵でたたき、音をたて、調子をとり、合わせ乍らの興を添えることが行われる。
戦前には、この搗かれた餅を、千本杵の何本かにまきつけて、部落内を持ち廻り、それをちぎって食べることにより、無病息災とする。伊香の"おすわさままつり"同様の行事があった。昨今では、境内で葛の葉などに各自が受け、直会としている。
[参考]
伝承によれば、天明の凶作の折、祈願行事として始められとされ、又「土用餅は血肉となる」との伝承にあやかる行事とされてある。
先きの大戦中から食糧事情により、中止されていたが、昭和五十一年より糯米四〇キロを用意復活された。田代という開発地名は高冷地のこととして幾度かの凶作に北野社を祀り祈願行事とされたことだろう。