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塙町の民謡
県内でも珍しい茶もみ唄が、上渋井地区に伝わっている。
上渋井地区の茶の栽培は、記録によると慶長十一年(一五〇六)に、宇治の製法が伝えられてからという。以来、棚倉藩内の珍しい茶の産地として献上も行われ、ひときわ栄えた。
五月下旬から一番茶を摘みはじめ、秋の彼岸の三番茶まで、毎日茶摘みと茶もみが続く。まず、摘んだ葉を大きな釜でふかし、板にあげてさます。
次にこれをホイロに入れてもむ。ホイロは一間に半間の鉄製の箱状のもので、カマドの上に乗せてある。最初は「葉うち」といって上下にもみ、次に「ダルマ」といって転がすように左右にかきまぜ、さらに「デングリ」となって仕上げる。「ダルマ」と「デングリ」の作業でうたわれるのが茶もみ唄である。生葉五貫目が一貫目の製品になるといい、これが一人前の一日分の作業量といわれる。
上渋井の茶作りも今は見られない。
この歌は昭和五十六年十二月五日、郡山市民会館で行なわれた「第二回福島県民謡まつり」において、塙町上渋井字安久津の白坂利光氏が、茶もみの作業とともに再現したものである。
「茶もみ唄」
ハアー
もめやもめもめ もまねきゃよれの
もめばェ大葉も アノ小葉となる渋井渋井と 名は渋けれど
一夜ねてみろ 甘くなる渋井よいとこ 後ろは山で
前は久慈川 茶の出どこ渋井土地のせいか お色が黒い
黒いはずだよ 茶の出どこ渋井よいとこ 新茶の出どこ
娘やりたや お茶摘みにお茶師さんかい よく来てくれた
今年や娘も 待っていた尚、同じ頃に提出された調査書には、木挽歌、土搗歌、数珠繰り念仏、松坂、子ども精進唱え言等が報告されている。
「土搗歌」
ひきゃげ もちゃげろ
天竺までも
ここは 大事な
隅柱 エーヤーレ
(囃し)
サーノヨイサ
ヨーイヤラセーノ
エンエンヤレコノセ
サーノセ
アレハサイ
インヤーレめでた めでたの
このどうづきは
鶴が 音頭で
亀がひくよ エサネーめでた めでたの
このやのやかた
鶴が 綱引き
亀ねとる 工ーヤーレ譲った 譲ったよ
音頭を譲った
花も 実もある
○○さんに譲った 工ーヤーレ