わたくしたちのきょう土 矢祭町-094/111age

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4.きょう土を開いた人々
 矢祭町は、南郷の米どころとして栄えてきたところです。しかし、町の中央部を流れる久慈川の大水で田を流されたり、せきをこわされたりしてきたほかに、冷害や日でりの災害などにあって、が死する人も出るほどでした。そのために、町の人々はたいへん苦労をしてきました。
 今でこそ、川にはてい防やコンクリートのせきができ、農道や林道などもよくなって便利になってきましたが、50年ほど前までは、いろいろな災害になやまされてきました。
 きょう土を開発した人々のおかげで、町は便利になってきています。このことについて次のことを調べてみましょう。
・きょう土の開発のためにつくした指導者や事業
・事業のようす(計画、そのころの技術や使われた道具、指導者の熱意)
・事業の資金作りやみんなの協力
・県や国のえん助
(1)我満ぜきを守る
 久慈川にそった平地には水田がひらけ、米作りがさかんに行われています。
 石井地区もむかしからこの平地に水田が作られていました。田に水を引くために2キロメートルも上流の川をせき止めて、田に水を引くようになっています。
 大水でせきが流されたり、日でりの年は水が足りなくなったりしてたいへん苦労をしてきました。
黒助にある石井地区揚水ポンプ場
黒助にある石井地区揚水ポンプ場

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