わたくしたちのきょう土 矢祭町-095/111age

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

◆我満ぜきのれきし
〈大正のころ使われた道具〉
・元禄 10年6月 (1697年) ・下石井から中石井まで水引きに来た。
・寛延 2年3月 (1749年) ・きょう作のために上川原ぜきのふしん日のべ願いを、塙代官所に出した。
・明和 4年3月 (1767年) ・中石井、下石井、戸塚の3か村組合ぜきの「定書」がつくられた。
・安永 6年8月 (1777年) ・3か村組合ぜきのふしん届出書が、塙代官所へ出した。
・天明 8年9月 (1788年) ・我満ぜきをしゅう理するための作業日のべの願いが塙代官所へ出した。
・大正 5年 (1916年) ・用水を使った田の面積が,140ヘクタールを越えた。
・大正 10年 (1921年) ・久慈川に大こう水が起き、せきばらいがあり、3か村組合ぜきが解散されて戸塚村は揚水ポンプを使って田に水を引いた。

大しばをたばねた道具
▲大しばをたばねた道具
小石まじりの砂をほったジョリン
▲小石まじりの砂をほったジョリン

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は矢祭町教育委員会に帰属します。
矢祭町教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。