そのため、鮫川村は農業がさかんなもはん村になり、千代之助は県知事からひょうしょうをうけました。 そのころ、西野〜大塩の坂道(石野坂)は道はばがせまく、人や馬がやっと通れるくらいでした。村や村の人びとのお金でつくることができないので、県にお願いしました。この道は、昭和4年によい道につくりかえられました。 石野坂には、記念碑がたてられています。