体験学習の手引き -009/036page

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会 津 木 綿

 会津地方の普段着(ふだんぎ)、日常着として伝続を保ってきた会津木綿は、会津人の人柄を示すように、 色は地味で、技巧のない縞柄(しまがら)であり、かつ実用向きに織られていて丈夫であるのが特徴です。
会津木綿の製品
 会津木綿の製品

1.会津木綿の歴史

 会津木綿の歴史をたどりますと、会津藩主加藤嘉明(かとうよしあき)(寛永4年・1627)が会津に移った時、 前領地の伊予松山(いよまつやま)から織師(おりし)を招いて、伝習したのが会津木綿の起こりといわれています。その後、寛永20年(1643)に会津藩主になった保科正之(ほしなまさゆき)が綿花の栽培を奨励しました。

 当時は、布を織る「機織り」の作業は、農民だけではなく、藩士の妻女の内職としても行わ れました。農・商・工業にたずさわる庶民は主に藍草(あいぐさ)・綿花の栽培及び製品の販売をしていま した。しかし、その後度重なる倹約令(けんやくれい)のため、絹や紬(つむぎ)を着用できる範囲がより制限され、この 木綿織物の作業も農民の副業へと変わっていきました。そして会津藩の特産品である漆器(しっき)、陶 磁器(とうとうじき) 等と同様に、藩の保護政策のもとで、次第に発展していきました。

 生産が増したのは、綿糸紡績業が発達し、さらに力織機(りきしょっき)が普及した明治33年以降で、最盛期 には、30数社の機業場(はたぎょうば)がありましたが、現在は会津若松市内には3杜のみとなっています。(そ の他の町に6社)

 会津木綿は、従来普段着や仕事着、夜具地(やぐじ)などに用いられていましたが、昭和30年代半ば以 降農家の仕事着としての需要が急減してからは、素材は純綿を守りながら、縞柄に改良を加え、 現在では民芸織物として、着尺地(きじゃくじ)、洋服地(ようふくじ)、テーブルクロスや座布団などのインテリア用品、 ハンドバッグ、ネクタイ、財布、袋物などの民芸品として、幅広く利用されています。

2.会津木綿の原料

 古くは、地元で栽培した綿による綿糸を使っていましたが、近年は国内の紡績工場から必要 な太さの綿糸を購入しています。したがって、古くからやっていた原綿からの種子とりや糸つ むぎ、綛(かせ)上げなどの仕事はなくなりました。

 国内の紡績工場で用いる綿花は、良質で安い綿花を、海外から輸入しています。

3.藍染(あいぞめ)の原料

 会津木綿本来の染色は藍染です。藍草(あいぐさ)を原料として、 大正時代は猫苗代湖南岸や会津城下町(あいづぼんげまち)の青木から藍玉(あいだま)を 購入していました。現在は北海道や四国の阿波(あわ)からねせ て叺(かます)に入れたものを買っています。また藍染は化学染料 より手間がかかって大変であることから、現在は半分以 上化学染料が使われています。

4.会津木綿の作られる順序

(1)綿糸(めんし)の入手
 国内の紡績工場から購入する。


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