体験学習の手引き -017/036page

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3.会津唐人凧(とうじんだこ)

(1)鶴ヶ城に凧(たこ)あがる
 明治元年(1868)8月、会津の鶴ヶ城 は、域の東側にある小田山(おだやま)から砲弾(ほうだん)が雨あら れのようにうち込まれ、そのたびに城内各折 から黒煙(こくえん)が上がりました。砲弾がうち込まれ るばかりでなく、城は十重(え)、二十重(え)に囲まれ て蟻の、はい出るすきまもなかったのです。

 籠城(ろうじよう)していた会津軍もけが人が続出(ぞくしゅつ)し、決 死の部隊が時(とき)に城外に出撃(しゅつげき)して、戦いをいど みましたが、大勢(たいせい)をくつがえすまでにはいた らず、孤立無援(こりつむえん)の絶望(ぜつばう)的な籠城戦が果てしも なく続くといった毎日でした。

 そんなある日、鶴ヶ城の本丸から、するす ると凧があがりました。

 凧は砲煙(ほうえん)をかいくぐって大空高く舞い上が り西軍をあ然(ぜん)とさせるとともに、城内の将兵 の士気を高めるために籠城中の少年があげた のです。その時の凧が会津唐人凧で、あげた 少年は、藩校(はんこう)日新館(にっしんかん)生徒の池上四郎(いけがみしろう)(後の大 阪市長)であったと伝えられています。

唐人凧「べろくん出し」 鶴ヶ城籠城戦凧揚げの図
 唐人凧「べろくん出し」

(2)会津唐人凧
 会津唐人凧は、江戸時 代から昭和初期にかけ、 若松近郊であげられてい ました。

 鬼が兜(かぶと)にかみついて離 れない図柄(ずがら)の唐人凧です が、大胆(だいたん)な構図の絵に見 る素朴(そぼく)ないろどりの美し さと、空高く舞い上がろ うとする力強さが、郷愁(きょうしゅう) あふれる童心(どうしん)を思い起こ させてくれました。

 図柄は近年増えて約20種を数え、べろくん出し、日(ひ)の出波(でなみ)、武者絵(むしゃえ)、風神(ふうじん)、火伏(ひぶせ)の 竜(りゅう)などが多く描かれています。べろくん出しが代表的な図柄で、目をむきだし大きな口


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