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伝説 と 昔話
1. 幽霊清水(ゆうれいしみず)(伝説)
むかし、鶴ヶ城につながる徒之町(かちのまち)に、蒲生氏郷(がもううじさと)につかえて四百石の禄高をもらっていた志賀新 七(しがしんしち)という武士(さむらい)があった。ある夜、新七が興徳寺のうらを通りかかると、どこからともなく、「志 賀の新七さ一ん」と呼ぶ女の細い声がした。「お願いのすじがあって……」という声にふりむい てみると、赤ん坊をだいた女が、髪をふりみだしながら、ふらふらとゆられながら立っていた。
新七は、ははあ……これは、うわさに聞いていた幽霊だなと思って、「わしになんの願いがあるの じゃ」と言った。「わたしはある屋敷に奉公しておりましたが、その家の主人の子どもを生んだ ばっかりに、その主人の奥方(おくがた)に殺されてしまいました。このうらみをはらすまでは、どうしても うかばれません。しかし、わたしの姿をみると城下の者はみなおどろいて逃げてしまいます。そ のうえ、屋敷にはお札(ふだ)がはってあるので、どうしても入ることができません。あなたさまはご武勇(ぷゆう) のおかた、どうかそのお札をはがしていただけないでしょうか。」とたのんだ。新七はたのみご とを聞いてやろうと思った。「よし、それじゃ拙者(せっしゃ)がそのお札をはがしてやろう。」と門前まで でむいてお札をはがしてやった。幽霊は赤ん坊を新七にだいてもらって、屋敷に入っていった。
そのうち、女の悲痛(ひめい)が聞こえ、全身血にそまった女が、奥方の首を口にくわえて出てきた。「こ れで、わたしのうらみをはらすことができました。わたしも安心して冥土(めいど)へ行かれます。なにか おのぞみのものをおっしゃってくださりませ。」と言ったので、新七は、「拙者(せっしゃ)の家では、良い 飲み水がでなくて因っているから、よい清水がほしい。」とこたえた。そうしているうちに、い つかぼんやりと霧(きり)がかかってきて、幽霊はかき消すようになくなってしまった。よく朝、新七が 目をさましてみると、庭さきにみなれぬすて石が置いてあるので、ふしぎに思って石をのけてみ ると、なんとそこからこんこんと清水が湧いていた。その後、どんな日照(ひで)りのときでも、かれる ことなく湧きつづけたということである。また、このことが殿さまのお耳にも入り、そんな伝説 を秘めたよい水なら茶の湯につかおうと、その後お茶会にはなくてならない水として使われた ということである。
(歴史春秋社『やさしく書いた会津の伝説』村野井幸雄者)2. 千穂姫(ちほひめ)と尼(あま)ヶ淵(ふち)(伝説)
黒川(くろかわ)の荘(しょう)(若松)芦名家(あしなけ)七代のころの話である。大町左京盛胤(おおまちさきょうもりたね)のひとり娘(むすめ)千穂姫は、東日本一 の美女と言われていた。この姫には、簗田衛門(やなだえもん)という美男のいいなづけがあった。ところが殿さ まは、この千穂姫をそばめにほしくなった。「おまえの娘をわしのところへよこせ。」と命じら れて、千穂姫の父は困ってしまった。千穂姫は「わたしは、簗田さまのところへしかお嫁にまい りません。殿さまのところへ行くなら、死をえらびます。」とかたい決心であった。
ところが盛胤(もりたね)が住吉(すみよし)神社の御神体(ごしんたい)を受けに鎌倉(かまくら)へ出発した留守に、殿から命令がきた。「今日の戌(い)