体験学習の手引き -028/036page

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の刻(こく)(午後9時)までに姫をさし出せ。」と。父のいない留守中の ことだけに、姫は思いあまって死をかくごした。湯川のほとりで 水ごりをとり、羽黒神社の奥の院に、21日の間こもって身を清め た。満願(まんがん)の日、夢枕(ゆめまくら)にあらわれた老人の「無常(むじょう)の恋をあきらめ、 仏門(ぶつもん)に入るよう……」と言うさとしもきかず、尼ヶ淵に身を 投げた。しかし、そのとき羽黒山の奥より現われた軍陀利(ぐんだり)、 妙見(みょうけん)、観音(かんのん)の三世尊が姫を救(すく)いあげた。その後、東光寺の別 当行智上人(べっとうぎょうちしょうにん)にさとされ、黒髪を切って上人(しょうにん)の弟子(でし)になり、名 を智尚尼(ちしょうに)とあらためた。簗田衛門は姫が恋しくて、東光寺に しのんできては、仏門に入るのを思いとどまって、わたしの ところにかえってきて、と泣いてたのんだが、読経(どきょう)の声がか えってくるだけだった。簗田衛門は心くるい、城を出て消息(しょうそく) が知れなくなってしまった。智尚尼は、尼として生涯(しょうがい)をおく った。この悲恋物語(ひれんものがたり)は今もかたりつがれている。新東山温泉のぼり口に碑がたっている。
 (歴史春秋杜『やさしく書いた会津の伝説』村野井幸雄著〕

尼ヶ淵
 尼ヶ淵

3. 和尚(おしょう)と小僧(こぞう)の話(昔話)

 あるお寺になあ、和尚さまがそれは、それはいり豆が大好きでときどき自分で豆いって食べら んだげんじょ。(おたべになります。)それでな、小僧にくれんのがいだましい(惜しい)んだって。

 あるとき、小僧がなあ、お使いに出してその後(あと)で、芋鍋(いもなべ)でカラコロ豆いって、食(た)べてらんだっ て。そしたら、和尚さまがな、小僧がカタコト帰る音が聞こえたもんだから、たまげっつまって (おどろいて)いり豆紙さ包(つつ)んで風呂場(ふろば)ん中さ逃げて、風呂桶(ふろおけ)ん中さ入って食べてらったんだと。 そしたらば、小僧が帰って来たら和尚さまいらんねえで(おいでにならないで)、鍋(なべ)があるもんだから、 やっぱあ鍋さ豆カラコロいって、和尚さま帰ってくっと大変だと思って、その豆を紙さ包(つつ)んで、風呂桶 さ入って食うべと思って風呂場さいったら和尚さまがぷりぷり、いり豆食ってらはったんだど(た べておられた)。したもんだから(それで)、小僧なあ、利口(りこう)だべ、「和尚さま、お代(かわ)り持って来たか らし」て言って、いり豆出したんだど、そんじえ(それで)、和尚さま、いやいや、小僧にくれ ねえで、悪かったって、それからは、何んでも分(わ)けて食べるようにならはったんだど。
 (『民俗調査報告書町方編』会松若松市教育委員会)

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