わたしたちの会津若松市〔第4学年〕-053/071page
戸ノロぜきは,どんなねがいによって,たれがつくったのでしょう。
人々のねがいと当時の人々の努力みんなは,戸ノ口ぜきがどんな地形のところにつくられたのかわかりました。秋子さんが,
「戸ノロぜきは,どんなねがいによってだれがつくったのですか。」
とたずねました。
そこで,先生からいただいたしりょうを中心として,くわしく調べてみることにしました。
戸ノロぜき年表
何 年 で き ご と 1530年ごろ
1567年
1623年
1636年
1657年
1693年
1780年ごろ
1833年・このころ,会津地方では,何か月も雨がふらず,日でり作物がとれない年がたびたびあった。
・会津地方で作物がほとんどとれず,多くの人がうえ死にする。
・八田内蔵之助が猪苗代湖から戸ノロぜき(八田野ぜき)をひく工事を始める。
・戸ノロぜきが八田野まで完成する。(八田野ぜきとよばれる。)
・花積弥市が戸ノロぜきを鍋沼から金堀,上長原へのばす。
・古川惣治衛門が,戸ノロぜきを若松の町までのばす。若松の米のしゅうかくが大はばにふえる。(戸ノロぜきとなる。)
・このころ会津地方で日でりのため,作物があまりとれない年がたびたびあった。
・全国的に作物のできがわるく,会津地方では,4年間作物がとれず,多くの人がうえ死にする。
・佐藤豊助を中心に戸ノロぜきの水をふやす工事が始まリ,2年後完成する。