わたしたちの会津若松市〔第4学年〕-054/071page
[人々のねがいと八田内蔵之助の努力]
◇人々のねがい◇
むかし,八田野(河東町)のあたりには,水田にてきしている平らな土地がかなりありましたが,なべ沼(ため池)や清水しか使えなかったので,水田はわずかしかありませんでした。
近くに日橋川は流れているのに,深い谷になっているため,川の水は使えません。
「水の少ない台地に水を引きたい。」
これが人々の長い間のねがいでした。
◇八田内蔵之助の努力◇
●370年ほど前,八田野村の肝煎という役についていた八田内蔵之助という人がいました。
●内蔵之助は,猪苗代湖から水を引いてくることを考え,との様にねがい出ました。
●会津藩の助けをかりて工事にかかりましたが,との様がかわり,工事は2年で中止になりました。内蔵之助は,自分のお金で工事をすすめましたが,とうとうお金がなくなり,工事は中止になりました。
●しかし,会津藩がまた工事を助けることになり,14年をかけてようやく猪苗代湖の水を八田野村へ引くことができました。
六軒から八田野に広がる水田
今のなべ沼(むかしは小さなため池)
八田野ふきんの米しゅうかくのふえ方
「会津の堰」の資料から