体験学習の手引き-025/033page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

伝説と昔話

1.幽霊清水(伝説)
 むかし、鶴ヶ城につながる徒之財に、蒲生氏郷につかえて四百石の禄高をもらっていた志賀新七という武士があった。ある夜、新七が興徳寺のうらを通りかかると、どこからともなく、「志賀の新七さーん」と呼ぶ女の細い声がした。「お願いのすじがあって……」という声にふりむいてみると、赤ん坊をだいた女が、髪をふりみだしながら、ふらふらとゆられながら立っていた。新七は、ははあ……これは、うわさに聞いていた幽霊だなと思って、「わしになんの願いがあるのじゃ」と言った。「わたしはある屋敷に奉公しておりましたが、その家の主人の子どもを生んだばっかりに、その主人の奥方に殺されてしまいました。このうらみをはらすまでは、どうしてもうかばれません。しかし、わたしの姿をみると城下の者はみなおどろいて逃げてしまいます。そのうえ、屋敷にはお札がはってあるので、どうしても入ることができません。あなたさまはご武勇のおかた、どうかそのお礼をはがしていただけないでしょうか。」とたのんだ。新七はたのみごとを聞いてやろうと思った。「よし、それじゃ拙者がそのお札をはがしてやろう。」と門前まででむいてお札をはがしてやった。幽霊は赤ん坊を新七にだいてもらって、屋敷に入っていった。そのうち、女の悲鳴が聞こえ、全身血にそまった女が、奥方の首を口にくわえて出てきた。「これで、わたしのうらみをはらすことができました。わたしも安心して冥土へ行かれます。なにかおのぞみのものをおっしゃってくださりませ。」と言ったので、新七は、「拙者の家では、良い飲み水がでなくて困っているから、よい清水がほしい。」とこたえた。そうしているうちに、いつかぼんやりと霧がかかってきて、幽霊はかき消すようになくなってしまった。よく朝、新七が目をさましてみると、庭さきにみなれぬすて石が置いてあるので、ふしぎに思って石をのけてみると、なんとそこからこんこんと清水が湧いていた。その後、どんな日照りのときでも、かれることなく湧きつづけたということである。また、このことが殿さまのお耳にも入り、そんな伝説を秘めたよい水なら茶の湯につかおうと、その後お茶会にはなくてならない水として使われたということである。
(歴史春秋社『やさしく書いた会津の伝説』村野井幸雄著)

2.千穂姫と尼ヶ淵(伝説)
 黒川の荘(若松)芦名家七代のころの話である。大町左京盛胤のひとり娘千穂姫は、東日本一の美女と言われていた。この姫には、簗田衛門という美男のいいなづけがあった。ところが殿さまは、この千穂姫をそばめにほしくなった。「おまえの娘をわしのところへよこせ。」と命じられて、千穂姫の父は困ってしまった。千穂姫は「わたしは、簗田さまのところへしかお嫁にまいりません。殿さまのところへ行くなら、死をえらびます。」とかたい決心であった。
 ところが盛胤が住吉神社の御神体を受けに鎌倉へ出発した留守に、殿から命令がきた。「今日の戍

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は会津若松市教育委員会に帰属します。
会津若松市教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。