体験学習の手引き-026/033page

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の刻(午後9時)までに姫をさし出せ。」と。父のいない留守中のことだけに、姫は思いあまって死をかくごした。湯川のほとりで水ごりをとり、羽黒神社の奥の院に、21日の間こもって身を清めた。満願の日、夢枕にあらわれた老人の「無常の恋をあきらめ、仏門に入るよう……」と言うさとしもきかず、尼ヶ淵に身を投げた。しかし、そのとき羽黒山の奥より現われた軍陀利、妙見、観音の三世尊が姫を救いあげた。その後、東光寺の別当行智上人にさとされ、黒髪を切って上人の弟子になり、名を智尚尼とあらためた。簗田衛門は姫が恋しくて、東光寺にしのんできては、仏門に入るのを思いとどまって、わたしのところにかえってきて、と泣いてたのんだが、読経の声がかえってくるだけだった。簗田衛門は心くるい、城を出て消息が知れなくなってしまった。智尚尼は、尼として生涯をおくった。この悲恋物語は今もかたりつがれている。新東山温泉のぼり口に碑がたっている。
(歴史春秋社『やさしく書いた会津の伝説』村野井幸雄著)
尼ケ淵
尼ケ淵

3.和尚と小僧の話(昔話)
 あるお寺になあ、和尚さまがそれは、それはいり豆が大好きでときどき自分で豆いって食べらんだげんじょ。(おたべになります。)それでな、小僧にくれんのがいだましい(惜しい)んだって。
 あるとき、小僧がなあ、お使いに出してその後で、芋鍋でカラコロ豆いって、食べてらんだって。そしたら、和尚さまがな、小僧がカタコト帰る音が聞こえたもんだから、たまげっつまって(おどろいて)いり豆紙さ包んで風呂場ん中さ逃げて、風呂桶ん中さ入って食べてらったんだと。そしたらば、小僧が帰って来たら和尚さまいらんねえで(おいでにならないで)、鍋があるもんだから、やっぱあ鍋さ豆カラコロいって、和尚さま帰ってくっと大変だと思って、その豆を紙さ包んで、風呂桶さ入って食うべと思って風呂場さいったら和尚さまがぷりぷり、いり豆食ってらはったんだど(たべておられた)。したもんだから(それで)、小僧なあ、利口だべ、「和尚さま、お代り持って来たからし」て言って、いり豆出したんだど、そんじえ(それで)、和尚さま、いやいや、小僧にくれねえで、悪かったって、それからは、何んでも分けて食べるようにならはったんだど。
(『民俗調査報告書町方編』会松若松市教育委員会)

メモ







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