すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -017/197page

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した。

 賤子(しずこ)は、生徒たちに対して、相手のもっともよいところをみつけ出すのがじょぅずでした。その教え方は、自分で最後までやってみる、仝カをつくしてとことんまでやってみる それを見ていて、まわりの人たちも、勇気を出して努カさせるようにしむけるのでした。

 賤子は、明治22年に、26歳で巌本善治と結婚して、フェリス女学院の先生をやめます。夫の巌本善治は明治女学校を経営(けいえい)し、『女学雑誌(じょがくざっし)』という新しい時代の雑誌を発行していました。その学校も雑誌も、これからの世の中を生きぬいていく女子を育てていこうというものでした。今まで、家の中でおさえつけられていた女子の、社会的な地位を向上(こうじょう)させようというねらいをもっていました。二人の結婚は、こうした女子教育についての二人の考えが同じであったことから出発しました。


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