すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -020/197page
す。賤子(しずこ)は、本国で発表されてから、わずか4年後にこれを日本に紹介(しょうかい)したのです。明治の初めとしては、めずらしい早さで、賤子の教養(きょうよう)の広さがわかります。
文章は、母から子に語りかけるような話しことばで書かれています。そのころの文章は、文語体(ぶんごたい)といって、話しことばとは全くちがった昔ふうの文章で書くのがふつうでした。賤子も、初めは文語体で書いていたのですが、文語体ではどうしても自分のほんとうの気待ちをあらわすことができません。英語の得意(とくい)な賤子は、自分の気持ちを、英語であらわすことはできますが、日本語の文語体で書いてみると、何かものたりなくて満足(まんぞく)できません。
英語を日本語になおすことは、たいへんなことです。考え方や習慣(しゅうかん)のちがう外国人の作品を、日本人がわかるように書かなければなりません。幼いときから外国の人といっしょに生活して、英語で育った賤子にとって、外国人の心を