すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -024/197page

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 夫(おっと)の巌本善治(いわもとよしはる)は、明治女学校の経営者(けいえいしゃ)であり、女学雑誌(じょがくざっし)の責任者(せきにんしゃ)でもあり、また、そのころの女子教育の中心者でもありました。来客(らいきやく)もたくさんあります。それらの人々と応対(おうたい)するのも、妻(つま)の賤子(しずこ)のたいせつな仕事の1つでした。

 賤子のからだを心配したある人が見かねて、

「靴(くつ)を玄関(げんかん)からかくして、留守(るす)だといって、お客さんを少しことわったらどうですか。」

というと、賤子は、

「私はそんなウソをいうことはきらいです。」

と、はげしく言って、顔色がさっと変わるほど、ウソのつけない、自分にきびしい性格でした。

 教え子や後輩(こうはい)から、尊敬とあこがれのまとであった賤子ですが、会津の子供たちの教えの中心である『ならぬことはならぬ』 というはげしさをもっていた


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