すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -026/197page

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 その中には、鎖国(さこく)をやめて外国と行(ゆ)き来(き)をはじめたばかりの日本を、外国の人々に知ってもらう文章も書いています。『雪だるま』『お盆(ぼん)の行事』など、昔からの美しい日本を紹介(しょうかい)しています。

 これらは、苦しい病気の床(とこ)についているころ、書かれたものです。賤子(しずこ)は、そのころなおることはできないといわれていた肺結核(はいけっかく)という病気におかされていました。

 賤子は、死の1年3ヵ月前、『会津城(あいづじょう)の戦い』 という英文を『日本伝道新報(にほんでんどうしんぽう)』に発表しました。

 会津戦争を生きぬいた会津出身の三人の女性が集って、会津戦争の思い出を語りあったことがありました。その内容が、女学雑誌(じょがくざっし)に発表されたのです。

 病気でさえなければ、その話しあいに参加したかった賤子でした。女学雑誌に発表されたその話しあいの記事を読むと、もうだまっていることができなく


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