すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -030/197page
かないでね。私には、人に話すようなことは何もありません。お墓には 『賤子(しずこ)』 とだけほってください。」
最後まで意識(いしき)ははっきりしていました。夫(おっと)の手をにぎりながら、
「ありがとう。」
というと、静かに息(いき)をひきとりました。明治二十九年二月十日、満32歳の短い生涯(しょうがい)でした。
明治のはじめに新しい時代に生きる女子教育に目ざめた人、『小公子』 をはじめとする翻訳(ほんやく)を通して、日本では数少ないキリスト教文学者など、賤子は、その短い一生をはげしく生きぬきました。病気がちのからだでありながら、すぐれた仕事を残し、さらに、家庭にあっては、3人の子供をりっぱに育てました。世界的に有名なバイオリニストの巌本真理(いわもとまり)は、賤子の孫(まご)として、そのすぐれたオ能(さいのう)をうけつぎました。