すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -037/197page

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 幼(おさな)いころからかしこかった兼載(けんさい)は、お坊さんの修行(しゅぎょう)をするかたわら、近くの諏訪(すわ)神社に出かけて、連歌(れんが)の会にも顔を出すようになりました。

 連歌というのは、短歌の五七五・七七の句を二つに切って、上(かみ)の句と下(しも)の句をたがいに別の人が集団(しゅうだん)でよみあう芸術(げいじゅつ)です。それにはいろいろな法則(ほうそく)があって、主に百句(百韻(ひゃくいん)といいます)を、一座の共通(きょうつう)のイメージでそれぞれ付け合って作りあげていくものです。『発句(ほっく)』とよばれる最初の句をよむと、そのイメージに従(したが)って他の人々がつぎつぎと『附句(つけく)』とよばれる句を付けていきます。

 やがて、これが俳諧といわれるような内容になり、その俳譜の発句だけが後に独立して俳句(はいく)になっていきます。しかし、それは兼戴から150年くらい後の江戸(えど)時代になってからです。

 短歌が昔から貴族(きぞく)を中心によまれてさたのに対して、連歌は新しい階級(かいきゅう)である大名や、武士、町人の間でもさかんになっていさました。そして、京都から


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