すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -038/197page
地方へひろがり、会津の各地でも連歌(れんが)の集りがさかんになってきました。
13歳になった兼載は、一句を聞いて百句を作るといわれるほど、すぐれた連歌のオ能(さいのう)をあらわすようになりました。
「このまま、この会津においておくには惜(お)しい子供だ。」
と、まわりの人々の間で評判(ひょうばん)になるくらいでした。
現在も七日町(なぬかまち)にある金剛寺(こんごうじ)というお寺に、そのころ、輿俊(こうしゅん)というお坊さんがいました。会津の連歌の集りの中心となるほどの人で、江戸を中心として活躍(かつやく)していた心敬(しんぎょう)という連歌の先生とも知りあいでした。
応仁(おうにん)元年(1467年)、16歳になった兼載は、輿俊に連れられて連歌の勉強のため、江戸(えど)に出ることになりました。日本一の連歌の先生である心敬について連歌を学びはじめたのです。
そのころの江戸は、関東平野の中にある小さな町でしかありませんでした。