すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -043/197page
と、発句(ほっく)をよんだのをはじめとして、30歳ぐらいまでの間には、いろいろな連歌(れんが)の集りに出席しています。発句は連歌の最初の句で、その会の中ですぐれた人がよむことになっていました。
京都における連歌師としての兼載(けんさい)の地位(ちい)もだんだん高まってきました。武士や貴族、神社やお寺など、京都を中心としたさまざまな連歌の席によばれるようになりました。連歌だけではなく短歌にもすぐれた作品が残されています。
春(はる)くればかへ(え)りてみせよ言(こと)のはに
ちらで残(のこ)らんみよしのの花(はな)
文明(ぶんめい)十五年(1483年)、兼載32歳の早春、(そうしゅん)京都で有名になった兼載は北陸(ほくりく)から関東(かんとう)をはじめとする各地の旅に出かけました。
そのころの連歌師にとって、旅(たび)は重要な仕事のひとつでした。先輩(せんぱい)の宗祇(そうぎ)が旅に生き旅に学(まな)んだように、兼載も、さらに兼載の後輩(こうはい)の芭蕉(ばしょう)も、旅の中です