すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -046/197page
武士どうしの争いもあったりで、さわがしいせの中でした。その間の旅ですからとても大変な旅でした。まさに旅は連歌師(れんがし)にとって生命(せいめい)であったのです。
兼載(けんさい)、38歳の延徳(えんとく)元年(1498年)、朝廷(ちょうてい)からお坊さんの位(くらい)で五位にあたる法橋(ほっきょう)の位をさずけられました。また幕府からは宗祇(そうぎ)の後をうけて花下宗匠(はなのもとのそうしょう)という連歌師では最高の役(やく)に任(にん)ぜられ、同時に北野会所奉行(さたのかいしょぷぎょう)という役を命ぜられました。これは連歌の中心である北野天満宮(きたのてんまんぐう)の連歌の集りをとりしきる役です。兼載は38歳の若さでした。ほかの人々はみな60歳くらいになって任命(にんめい)されていることを考えると、兼載のすぐれたオ能(さいのう)が広くみとめられていたことがわかります。
兼載は喜びました。年が明(あ)けると、正月五日、さっそく北野会所開きの連歌会を行って
けふ(きよう)ひらく梅(うめ)は千年(ちとせ)のかざしかな