すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -049/197page
兼載(けんさい)の山口訪問は、新しい連歌集のためばかりではありませんでした。兼載は山口からさらに九州へも足をのばして、太宰府(だざいふ)の天満宮(てんまんぐう)まで行っています。京都の北野天満宮(きたのてんまんぐう)の会所奉行(かいしょぶぎょう)になった兼載が、同じ太宰府天満宮にお参りすることも今度の旅の目的の一つだったのです。
いよいよ、新しい連歌集の資料(しりょう)を集めはじめたのは明応(めいおう)三年(1494年)、宗祇(そうぎ)の山口訪問から5年の月日が過ぎました。
それからだんだんと作品がえらばれていって、ようやく完成したのは明応(めいおう)四年(1495年)九月二十六日のことでした。その間には、句のえらび才をめぐつて、宗祇と兼載が対立(たいりつ)したこともありました。また、歌集ができあがるころになると、
「今度の歌集にのせられる句には、かたよりがある。中にだいぶ えこひいき があるようだ。」