すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -052/197page
連歌会(れんがかい)には招(まね)かれていますが、ふるさと会津を訪(おとず)れたのは、少し後の時代になってからです。
文亀(ぶんき)元年(1501年)、50歳になった兼載(けんさい)は、いよいよ京都を離(はな)れて関東(かんとう)に移ることを決意します。旅であれば、やがてもどってくることもありますが、今度はもどることのない移住(いじゅう)を決意したのです。
若草(わかくさ)の匂ひ(におい)をうつせ花(はな)の蔭(かげ)
の句の前書きをみると、子どもや家族を京都に残して、兼載ただひとり、関東に移り住むことにしたようです。
まず、北陸から関東に出て、福島県のいわきに住むようになりました。そこでしばらく月日(つきひ)を過ごして、兼載がふるさと会津へはいったのは翌年の二月になってからでした。
会津に帰った兼載は、母の三十三回忌(き)を行いました。