すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -053/197page
ながらへ(え)てかひ(い)なき身をもたらちめの
あととふ(う)けふ(きょう)ぞ思ひ(おもい)なぐさむ
こうして生きながらえて、お母さんのためにおつとめをすることができると思うと、わずかに心がなぐさめられるようだ、という意味ですが、このころの歌人で母親に直接(ちょくせつ)ふれてよんだ歌はめずらしく、兼載(けんさい)の母思いの姿がみられるようです。
そのころ、会津を支配していた芦名氏(あしなし)は、盛信(もりのぶ)の死後、その子盛詮(もりあき)、盛高(もりたか)の時代をむかえて、家臣(かしん)の間で争(あらそ)いが絶(た)えず、各地でさまざまな反乱(はんらん)が続いていました。
文亀(ぷんき)二年(1502年)、兼載が会津入りをしたころは、芦名家中(あしなかちゅう)の争いがますますはげしくなっていったころでした。そして、永正(えいしょう)二年(1505年)には、領主芦名盛高(りょうしゅあしなもりたか)とその子盛滋(もりしげ)の、父と子の対立がおこり、内乱状態(ないらんじょうたい)にまで発(はっ)