すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -054/197page
展(てん)していきました。
この父子(ふし)の対立を心配した兼載(けんさい)は、九月十三日に父子の和合(わごう)を祈(いの)って、芦名(あしな)祈祷百韻(きとうひゃくいん)という連歌(れんが)をまとめて諏訪(すわ)神社に奉納(ほうのう)しています。
月(つき)は名(な)をわくるも一 (ひと)つ光(ひかり)かな
しかし、兼載の祈(いの)りもむなしく、父子の対立はとけず、子の盛滋(もりしげ)の軍が敗(やぶ)れてしまいました。
会津入りした文亀(ぷんき)二年(1502年)から、芦名父子の和合を祈って百韻をよんだ永正(えいしょう)二年(1505年)までの間、兼載の幅広(はばひろ)い連歌活動がみられます。会津だけでなく白河やいわきにも出かけていますが、特に会津での活躍ぶりは、黒川(会津若松)、柳津(やないづ)、猪苗代(いなわしろ)などでの作品からうかがうことができます。
川霧(かわぎり)や音(おと)に舟(ふね)行(ゆ)くゆふへ(ゆうべ)かな (柳津)
山(やま)は雲海(くもうみ)は氷(こおり)をかかみ(かがみ)かな (猪苗代)