すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -056/197page

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 そのほか、現在の栃木(とちぎ)、群馬(ぐんま)、埼玉(さいたま)、千葉(ちば)などには兼載(けんさい)の教えをうけたいという大名や武士がたくさんいました。それらの人々の招(まね)きをうけて、兼載は主に北関東(きたかんとう)のあたりに何度か足を運びました。

 関東地方は、そのころ、古河公方(こがくぼう)といわれた将軍足利氏(あしかがし)の一門の人々が、将軍のかわりに勢カ(せいりょく)をおさえていました。兼載はこの古河公方、足利政氏(あしかがまさうじ)に信用(しんよう)あつく、たびたび連歌(れんが)を送ったりしていました。その縁(えん)で北関東の大名や武士からたびたび招かれていました。

 永正(えいしょう)(1506年)兼載は、北関東の芦野(あしの)というところに永住(えいじゅう)しようとしましたが、そこで中風(ちゅうぶう)という病気にかかってしまいました。知らせをうけた古河公方(こがくぼう)からは、さっそく見舞(みま)いの使がやってさました。

 兼載の病気はなかなかよくなりませんでした。心配した古河公方は、永正(えいしょう)五年(1508年) になると、病身(びょうしん)の兼載をわざわざ古河(こが)にむかえて、手厚(てあつ)くも


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