すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -066/197page
ども、岩子は、自分より苦しい生活のようすを見て、救(すく)いの子をさしのべずにはいられませんでした。翌日から、行商(ぎょうしょう)に出るたびに、その子供の家をまわり、母親の看病(かんびょう)から食事のせ話をし、時にはお金を与えたりもしました。
そんな岩子に追いうちをかけるように、不幸が続きました。安政四年(1857年) に今まで世話をうけていた叔父が、文久二年(1862年) には夫が、文久三年(1863年) には母が、つぎつぎとなくなってしまったのです。
岩子一家は悲しみの中、会津若松の城下町を去り、熱塩の山形屋に移り住みました。そして、毎日のように近くのお寺、示現寺(じけんじ)にお参りし、不運なできごとをなげいていました。
こんな岩子に、これからの生き方を教えてくれたのは、お参りにいっていた示現寺のおしょうさんでした。
「あなたは、自分の不幸に悲しみ、仏さまにおすがりしようとしているが、あ