すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -078/197page

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   私立済生病院(しりつさいせいびょういん)

 明治二十四年(1891年) 三月、岩子が、東京市養育院長(よういくいんちょう)からたのまれて養育院の幼童世話係長(ようどうせわかかりちょう)の職についたときのことです。

 仕事につくとすぐに院内の子供をみてまわりました。

「こんにちわ。」

戸をあけて声をかけました。しかし、返事はありません。子供たちは、部屋のすみの方でうずくまり、元気がありません。ときどき、うす目をあげて、こちらを見るだけでした。

 岩子は、この子供たちのようすをみて、

「笑うことを知らない子供は、不幸だ。」


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