すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -095/197page
二人だけの生活はそれで何とかまかなうことができますが、そのうち、父の入院や弟の進学などで、どうしてもお金がいるようになりました。役所に勤(つと)めることはあまり好まなかった季昌(すえまさ)ですが、ついに明治八年(1875年)警視庁(けいしちょう)に勤めることになりました。
その後、季昌は山形県や福島県の課長や郡長(ぐんちょう)を数多く勤めるのですが、特に山形県では、三島通庸(みしまみちつね)の信任(しんにん)が厚(あつ)く、三島通庸が福島県令(ふくしまけんれい)(知事)になると、福島県によばれて県内のあちらこちらの郡長をつとめることになります。
季昌の仕事がきまると、生活はようやく安定してきました。明治十五年(1882年)には、ようやく子どもも生まれ、モトと名づけられて、親子三人幸(しあわ)せな毎日でした。福島県内のあちらこちらの郡長を勤めた夫(おっと)の季昌(すえまさ)に従って、リンは転々(てんてん)と引越(ひっこ)しをしながらも、よく夫につかえ、家を守ってきました。
明治十九年(1886年)、夫の季昌が東京の警視庁(けいしちょう)に勤めるようになったの