すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -096/197page

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で、リンも娘モトをつれて東京に出ました。そのときの警視庁長官(ちょうかん)は季昌を信頼(しんらい)して山形県から福島県へと重く用(もち)いてくれた三島通庸(みしまみちつね)が前の年から就任(しゅうにん)していたのです。

 十数年ぶりでまた暮らすようになった東京は、以前(いぜん)とちがって、はなやかな都会になっていました。後になって、そのころの思い出をモトは次のように書いています。

「私が生まれたとき、父は40歳、母は34歳でした。初めての子どもだったので、たいへんかわいがられたのをおぼえています。あのころは鹿鳴館時代(ろくめいかんじだい)といわれて、西洋風(せいようふう)の文化や風俗(ふうぞく)をまねしたはなやかな時代でしたから、私もきれいな洋服を作っていただき、まわりにいろいろな美しい飾(かざ)りのついたかさをさして、東京を歩いたものです。」

 警視庁の課長として収入(しゅうにゅう)もふえ、まわりのはなやかさとともに、リンの生活


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