すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -110/197page
った日新館(にっしんかん)で学ぶようになっていましたが、それは、武士の男の子に限られていました。女子は、「女には学問はいらない、むしろ害毒(がいどく)になるいといわれて、母から娘へと伝えられる家庭での教えしかうけられませんでした。
リンは、男女は平等(びょうどう)であり、女子は家にあってよい妻(つま)として、またかしこい母として生きていくためには、女子こそ学問をしなければならないのだという理想をかかげ、女学校をどうしてもつくらなければならないと考えたのです。
明治二十六年(1893年) 七月十二日、最初の女学校は、幼稚園(ようちえん)のかたすみで、裁縫(さいほう)の裁(た)ち板(いた)と、物さしと、はさみだけで始められました。生徒はわずか4名でした。
しかし、幼稚園にもまして、女学校の経営(けいえい)には困ったことがたくさんありました。女学校の先生として教えることのできるような人は、そのころはあまりいませんでした。また、資金(しきん)も自分たちで用意するしかありませんでした。