すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -121/197page
母(ぼ)つねをはじめ、10人兄弟の大家族でしたが、しつけがきびしく、家の中がさわがしいということはありませんでした。
五郎は「近年五郎(きんねんごろう)」と母が呼んだほど、近年めずらしくおとなしい子供でした。しかし母のしつけはきびしく、寒い時でも手をふところに入れることは許(ゆる)されず、また暑くてもはだぬぎになることを許されませんでした。お金の使い方にもきびしい心得(こころえ)があって、年に一度の諏方神社(すわじんじゃ)のお祭りのときも、買物の代金を自分で直接払うことは許されず、かならず財布(さいふ)のまま商人に渡してとってもらわなければなりませんでした。
運命の日、八月二十三日(慶応(けいおう)四年)を、五郎は面川沢(おもがわざわ)村のおばの家でむかえました。この日に若松城下で起った数々の悲惨(ひさん)なできごと、そしてわが家の悲しいできごとについては、五郎はまだ何も知っていませんでした。この日の