すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -133/197page
くのでした。いつ飢死(うえじ)にするかも知れない、こごえ死にするかも知れない、そんな不安が続く生活でした。父は炉(ろ)のそばで、ようやく習いおぼえた網(あみ)すきの手仕事に精を出しています。兄嫁(あによめ)は、毎日朝から晩まで藩の仕事場へ行って、はた織りの仕事をしていくらかの工貨(こうちん)をかせぐのでした。五郎は、秋に拾い集めた薪(まき)がもうなくなったので、雪の中を枯枝(かれえだ)などをさがし歩きました。冬の用水は、近くに井戸もなく、二丁 (百二十米) ほどはなれた田名部川(たなぶがわ)から汲んでくるしかありません。
川面(かわも)の氷に穴をあけて汲みあげ、手桶(ておけ)で運んでくるのですが、途中で凍(こお)ってしまってとかすのが大変でした。毎日の食事は、海草類を干(ほ)して細かくくだいてつくった「押布(おしめ)」 に、ひとにぎりほどの米を入れてたいたかゆだけでした。「押布」 というのは、海草の根や葉をこまかくきざんだもので、この地方の人の凶作(きょうさく)のときの食べ物です。