すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -139/197page

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 学校の休日は、毎月1・6の日でした。五郎は休日ごとに落の沢に帰り、米1升(いっしょう)をもらってもどるのが常でした。この1升の米は、藩から配給になった米のうちから、兄嫁たちがひもじいのをこらえて食べ残したものにちがいありません。

 五郎の、1・6の日の休日通いも大変でした。五郎は、以前から下駄もぞうりも持たず、はだしで通っていました。夏はそれでも、がまんができました。冬の氷雪の上をはだして数キロの山道を通うことは、たいへん危険でした。立ち止まれば足が凍(こお)りついてしまいます。いつも足ぶみしているか、全速カで走るよりほかはありませんでした。足先におぼえがなくなって危険を感じたときには、途中にある知りあいの家へかけ込んで、少し体をあたためてはまたかけ出すのでした。父も兄も、このようすを見ながら、どうすることもできなかったのです。米1升を五郎にもたせることが精いっぱいでした。


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