すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -156/197page

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遊びの仲間

 このころ、会津藩の学校は日新館(にっしんかん)といっていたが、ここは十歳にならなければ入学することができなかった。六歳から九歳の男の子どもたちは、みんな近くで遊びの仲間をつくっていた。午前中は、それぞれ、近くの寺小屋とか、先生の家に行って勉強をした。午後になると、必ず近所の仲間が集まって遊んだ。子どもたちは、雨が降っても風が吹いても、この仲間の遊びに参加した。ひとりでかってに遊ぶことは許されなかった。

 遊びの仲間では、年齢(れい)の区別がきびしかった。年下(としした)の者は、必ず年上(としうえ)の者の後にしたがった。同(おな)い年(どし)または一つ違いの者は、お互いに相手の名前を呼び捨てにしてもよかったが、二つ以上違う場合、年下の者が年上の者を呼ぶときは、


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