すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -160/197page

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 この年(明治元(がん)年=1868)、会津藩は軍隊の立てなおしを行った。ここで、健次郎は白虎隊にはいったが、まもなく藩の考えが変わって、十五歳ではまだ体格(たいかく)が小さく、重い鉄砲(てっぽう)などを、自由にあつかうことができないという理由から、白虎隊員の年齢(れい)を十六、七歳と改(あらた)めたため、健次郎は、白虎隊からはずされてしまった。白虎隊が出陣するとき、それを見送りながら、健次郎は、
「私も、もう一つ年上だったら」
と残念がった。後に、飯盛山(いいもりやま)で自害(じがい)した白虎隊士たちも、日新館で健次郎と机をならべて学んだ人々である。

 白虎隊をはずされた健次郎は、学問がよくできたので、ほかの数名とともに、フランス語を勉強するように命令された。会津藩は、フランスと貿易(ぼうえき)をはじめていたのである。教科書もなく、筆でフランス語を書いて練習した。今まで聞いたこともない外国のことばにも、興味(きょうみ)をもってぶつかった。しかし、まもな


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