すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -167/197page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

ここで、健次郎ははじめて英語を学ぶことになる。先生は、日本で最初の英和辞典をつくった千村五郎(せんむらごろう)だった。

 東京にいる会津藩の学生は五十名ほどだった。戦いに敗(やぶ)れた藩が、学生に与えるお金は少なく、食べ物も、勉強のための道具も不足した。ことに、食べ物は三食ともごはんが茶わんに一ぜん、それに、おかずはごま塩だけというありさまで、腹いっぱい食べることなど、とうていできなかった。食べざかりの健次郎たちは、いっも空腹をこらえていた。戦争のときでさえこれほどではなかった。はき物の下駄(げた)も、四、五人に一足ぐらいしかなく、外出するときは、交代(こうたい)ではいていたのである。

 このような苦しみの中でも、学生たちは、真剣に学問に励(はげ)んだ。こうして四か月ばかりたったとき、会津藩の武士たちは、斗南(となみ)に移住することになったので、藩の学校がとうとう廃止(はいし)されることになった。


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は会津若松市教育委員会に帰属します。
会津若松市教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。