すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -171/197page
と夢中(むちゅう)で答えた。しばらくして、行先はアメリカときまった。健次郎の望むところであった。このころ、日本の政府は、外国の新しい学問やすぐれた技術(ぎじゅつ)をとり入れるため、優秀な若者を、どんどん外国に留学(りゅうがく)させていたのである。
すぐに、出発の準備(じゅんび)にとりかかった。貧(まず)しい健次郎に十分な準備ができるはずもなかったが、知り合いの人びとの世話で、洋服を作ってもらった。それは、洋服か和服かわからないような変な服だった。もう一つ、靴(くつ)を買わなければならなかったが、まだ靴屋がない。これも、友人が、外国人の白い吉靴(ふるぐつ)を買って来てくれた。はいてみるとだぶだぶだった。とにかく、こうしてなんとかまにあわせて、横浜港を出帆(しゅっぱん)したのが、明治四年(1871)一月一日だった。船の名はジャパン号。健次郎が十八歳のときである。新しい学問を学べるうれしさに、健次郎は胸をふくらませた。
太平洋上を十日あまり走ったある日、