すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -174/197page

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こう決心した健次郎は、一月二十三日サンフランシスコに上陸した。ここから、蒸気機関車(じょうききかんしゃ)でアメリカ大陸を横断(おうだん)し、ノールウィツチという静かな田舎(いなか)町に着いた。アメリカで一流の、工ール大学に入学する準備のために、一年間、ノールウィツチの中学校で学んだ。ノールウィッチには、日本人は一人もいなかった。健次郎は、英語を勉強するには、日本語をまったく使わないほうが早く上達できると思って、この町に住むことにしたのである。

 こうして一年後、ついに、念願のエール大学の入学試験に合格することができた。ここでもまた、苦労の連続だった。大学では、図画(ずが)と音楽を学ばなければならなかったが、健次郎は、今まで一度も絵など描いたことがなかったし、西洋音楽は聞いたこともなかった。もちろん、日新館にそんな科目はなかった。むずかしい中国の本を読むことだけであった。健次郎の絵は、まことにへたであった。ピアノもひけず、歌うこともしなかった。それでも、当時は、日本人


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