すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -180/197page

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眼の光は人を射(い)るように鋭(するど)かった。しかし、きびしい反面、自由研究などの指導では本当にやさしく親切で、みんなからしたわれていた。同時に、学者として科学の研究に励(はげ)み、当時新しくはいってきたレントゲン光線の実験などに、寝食(しんしょく)を忘れて取つ組んだ。

 やがて、そのすぐれた実カと、礼儀正しい立派な人がらによって、二度も東京帝国(ていこく)大学総長(そうちょう)に任命された。また、京都帝国大学総長、初代九州帝国大学総長、私立明治専門学校総裁(そうさい)もつとめて、日本の教育をいっそうさかんにするための努カを続けていった。このほか、日本の工業技術を発達させるための理化学研究所や、これからの空の時代を予想(よそう)して、航空(こうくう)研究所をつくるなどめざましい活躍をした。こうして、日本の科学は世界の進んだ国々と肩(かた)を並べるまでに発展したのである。

 これらのてがらによって、健次郎は、大正四年(1915)男爵(だんしゃく)の位(くらい)をうけ、


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