すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第2集) -022/203page

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アメリカに志を求めて

語学にすばらしい才能を持っていた英世は、アメリカのシモン・フレキスナー教授が来日(らいにち)したとき、通訳(つうやく)として東京を案内しました。フレキスナー教授との三日足(た)らずの出会いの中で、

「アメリカに来て研究するなら、わたしのところに来てみなさい。」

との、言葉をもらいました。そして、アメリカ留学を決意しました。

アメリカに行くにしても、旅費(りょひ)がありません。どうにかして、アメリカに行くお金をつくりたいと思っていました。血脇先生は、このことを知って、いろいろ苦労してお金をつくり、はげましました。

明治三十三年(1900年)十二月五日、二十四歳になった英世は、アメリ


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