すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第2集) -025/203page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

した。

英世のアメリカでの最初の仕事は、毒蛇の飼育(しいく)で、手当は八ドルでした。しかし、毒蛇から毒を取りだすことは、大変危険な仕事です。この蛇(へび)にかみつかれると、まず命がないといわれています。英世は、不自由な手にもかかわらず実に器用に毒をとるのです。こうして、毒物学(どくぶつがく)の研究、蛇の毒の研究にうちこんでいきました。

やがて、フレキスナー教授のもとで、蛇の毒の研究を学界(がっかい)に発表しました。英世が二十五歳、アメリカにきてから十一ヵ月のことでした。

こうして、英世は、つぎつぎと研究論文を発表し、その研究は、世界の医学界の人々の注目を集め、ついに、ロックフェラー医学研究所の研究員になりました。ここの研究員は、みんなすぐれた医学者で、所長はフレキスナー博士でした。


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は会津若松市教育委員会に帰属します。
会津若松市教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。