すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第2集) -027/203page
と、フレキスナー博士も、ふしぎに思っていたということです。
こんなことから、英世に、『人間ダイナモ〔発電機(はつでんき)〕』というあだ名さえつきました。
細菌(さいきん)学者、野口英世
特に、野口英世の名前を世界的なものにしたのは、「スピロヘーター・パリーダ」の純粋培養(しゅんすいばいよう)に成功したことでした。それは、アメリカにきてから、十一年目、三十五歳のときでした。
野口英世の名声が高まるにつれ、各国から博士号や勲(くん)章が、送られてきました。日本からも、博士号や賞が届(とど)きましたが、日本には帰りませんでした。
けれども、ある日、英世のもとに、母の写真が送られてきました。